第9話


<Chapter.8>

チップを弾んだためか、タクシーの運ちゃんは妙に愛想よく走り去った。
この時間だし、未成年の女性が来てよいとはけっして思えない場所である。
口止め料のつもりで「お釣はいいですから、領収書だけお願いします」と言った意味を分かって
くれたらしい。

ドアをくぐると、客は彼女のほかに奥のテーブルの3人だけであった。
「おう、いらっしゃい」
カウンター内で店主が笑顔を見せた。
「こんばんは。まだ来てないみたいですね」
カウンター席に座ると、こちらも笑顔をプレゼントした。

「きょうはあのコは一緒じゃないのかい」
「へ?」
一瞬、誰のことかわからなかった。

「ほら、例の」
「ああ。いつも一緒ってわけじゃないですよぉ。今日はぜんぜん、スケジュールが掠りもしなか
ったんで」
「そうか。何にする?」
「んー、マルガリータ」
初めて来店したときの美味しさを思い出したカクテルを頼み、カウンター背後の棚に目を移す。
並んでいるのは見たこともない「世界の酒」だ。大人になったら飲ませてもらえるのだろうか。

シェーカーを振る姿がかっこいいなぁ、などと考えていると、注文の品をコースターの上に置き
ながら店主が「大変なことになったね」と耳打ちした。
「うん・・・・」
「無実なのは間違いない。元気を出すんだ。俺も協力できることはする」
あまり愛想の良い方ではない店主も、言葉が優しくなっていた。

「大丈夫、落ち込んでなんかいないよ。このあとどうするかだよね」
「打開策を考えるために集まるんだろ」
「うん。もうすぐだと思う」
まるで最愛の恋人を待つような少女の表情は、滅多に笑わない店主の頬を緩ませるほどに
魅力的だった。
「誰が来るかね」
「わかんない。もしかしたら・・・」
「彼女ひとり?」
「・・・」

実は、昨夜から一睡もしていない。眠り姫と言われるほどいつでも、どこででも寝るという
特技がまったく影を潜めていた。
いくら振り払おうとしても、悲しい光景が次々と脳裏に浮かんでは消えた。
「あたしが話す」と自信に満ちた表情で言い切った親友に任せたのだが・・・何度か携帯に
かけても留守電のままで、ついに「ハイパー・マイペース少女」と異名をとる彼女も心配し
はじめていたのである。
きっと泣くよね、下の子たち・・・。

「おお」
「え?」
「ご到着だ」

「「ごっつぁん!」」

店主の視線を追って振り向くのと、彼女の愛称が店内に響くのは同時であった。

「かおりん、やぐっつぁんも。ってことは・・・」 てっきり吉澤ひとりで来るものと思っていた後藤は、飯田の隣で微笑む親友に目を移し、
自らも笑顔を見せた。

「うまくいったんだ」
「うん。まあちょっとはあったけど、ねっ」
吉澤は飯田と視線を重ね、さらに微笑む。
「渡さん、おひさしぶりでーす」
さっさとカウンターに座った矢口の声が明るい。無理にそうふるまっているのだろうか。

「いらっしゃい。夏以来かな」
「ですねぇ」
「矢口、ひとりで来たことあるの?」
飯田もカウンターに座った。5席しかないカウンター席の残り二つのうち、ひとつは吉澤
が占めた。
残る一席も埋まるのだろうか。

「へへっ、何度かね。あっ、もちろん一人ばっかじゃないよ」
「ふーん」
もちろん、矢口は成人しているから問題ない。
だが、まだ18になったばかりの後藤が先に飲んでいても飯田が何も言わないのは、例の
復帰祝いの2次会以来となるこの店に、こんな時間にやって来た意味を理解しているか
らに違いなかった。
でなければ、規律に厳しいこのリーダーが「元」とはいえ後輩を叱らないはずがない。

「ねえ、あいぼんたちはどうだった?」
後藤は聞きたくて仕方がないようだ。いつものクールさが影を潜めている。
「まあひと息つかせてよ。なぁに飲もっかなー」
親友の心情を知ってか知らずか、吉澤ははぐらかすように棚に並ぶ洋酒に目を走らせる。
「焦らさないでよぉ」
この三人が揃っていることでだいたい想像はつく。
しかし、感受性が高く涙もろい高橋や、実は誰よりもメンバーのことを想っている小川たち
後輩の反応を知りたくて、また心配で、居ても立ってもいられないのだ。

「よっすぃ〜」
「ごっつぁんらしくないなぁ。落ちつきなって」
「なによ、やぐっつぁんまでぇ」
「本当だよ。ドライ・マティーニお願いしまぁす」
カクテルを注文した飯田を左に、その声をヒントに注文を決めたらしい吉澤を右に、後藤は
珍しく怒声をあげた。
「よっすぃー!怒るよもぅっ!」
いつもほんわかしている後藤真希のよく通る声がけっして低くないボリュームのBGMを
凌駕したことに、さすがの吉澤も折れた。

「わぁかったから」
「そんなに心配?」
真っ先に『モスコ・ミュール』を注文してひと口飲んだ矢口が揶揄するように言う。
「だってさぁ」
「んー、まぁわかるけどね」

「何から話せばいいんかなぁ。あ、あたし『ハーヴェイ・ウォール・ハンガー』お願いします」
飯田と後藤、二人を挟んで矢口と頷きあった吉澤がようやく話す気になった、その時であった。


「ほう、そのカクテルを知っているとはお主、なかなかの通じゃな」

「!?」
全員が一斉に振り向けた視線の先に、ステッキ片手の小柄な老人が立っていた。

「教授!」

いつの間にやってきたのか、かつて石川の絶体絶命を救うべく奔走する娘。たちを全面的に
バック・アップしてくれた愛すべき老医師が、愛用のステッキを片手に微笑んでいた。





BACK   NEXT