第26話


<#5 究明−5>


安倍は市街地が見渡せる高台を訪れていた。
少し前に降りたタクシーの運転手は、こんなところで降りる自分を訝っているよう
だったが、別にどこでもよかった。
ただあまり近くだと、昨夜のことを思い出してしまいそうだったから、わざわざ少し
遠いところへ来たのである。


「ホントに?本当に来られるんですか?」
「ああ。会社には内緒だから帯同というわけにはいかないけどね。夜ぐらいなら
逢えるんじゃないかな」
そう言って御代田は白い歯を見せた。
知り合った頃、ハンサムなやり手ぐらいにしか思っていなかった男は、今や支えと
なっていた。
保田の卒業を間近に控えた夜も、ソロ・デビューを告げられたときも、まず御代田
の声を聴きたくて、聞いてもらいたくて、電話は一日たりとも欠かさなかった。

とはいえ、業界こそ近いがトップ・アイドルと一介のサラリーマンである。逢える
日は少なく、時間も短かった。漏洩を恐れたせいもある。
御代田は、この業界にありがちな迎合一辺倒の人物ではなかった。マネ以外では、
数少ない「アドバイス」をしてくれる存在だった。
安倍の話をいったん全部とりこんだうえで、きちんと自分の意見を伝えてくれる。

彼女とて、22歳の大人である。これまでに何人もの男と知り合って来たが、この
出会いは少し色が違っていた。100%彼女が正しいと芝居をうつ輩とは一線を画し
た御代田宗一は、いつのまにか公私両方におけるアドバイザーとなっていた。


やっぱ、はっきり言いたかったな・ ・ ・ ・ただ海を見つめる安倍の頬を、涙が伝い
落ちて行った。

「なっち」
突然、耳慣れた声で愛称を呼ばれた。。振り向くと、そこには
「散歩にしちゃ、ずいぶん遠いね」
と微笑を携えた「カオリ…」と、後に続いていたのは
「矢口…どうしてふたりとも」
つとめてゆっくりと近づいていくリーダーに続きながら、矢口は昨日のことを思い
出していた。


ツアー中に泊まっていたホテルのチェック・アウトを待つ間、皆と離れてロビーの
隅っこに座っていた安倍。
呼びに行ったつもりなのに、声をかけられなかった。
卒業が決まり、未来へのビジョンが啓けた大エースの横顔に、思いかげない
ものを見たからであった。

「悲」

そして、握られていた手紙。

「一人で悩むのやめよ」
飯田はリーダーではなく、親友として話していた。
「圭織…」
「なっちが元気なかったらさ、あたしたちもそうなっちゃうんだからさ」
飯田は努めて明るく、自然に話しかけたつもりだった。
振り向いたただ一人の同期は、はにかんだように微笑むと、また前を向いた。

「わかっちゃったか。…長い付き合いだからねえ、わかるよねぇ」
それから安倍は、溜めていた想いを口にした。

結婚が間近の、御代田との悲恋・・・。
婚約者からの手紙には「別れて下さい」とはっきり書かれていた。
言われるまでもなく、それは考えていた。ここ1ヶ月は、毎日のように。
彼は、いつも私のことを考えていてくれる。
けど、私にはそれは無理。
自分にできること、やりたいこと…それを試したいし、これからもそれはふくらむ
ばっかりだと思う。できれば側にいたいけど…。

なんだか、わかっちゃったみたいで、ハワイまでついてきてくれて。
心強いけど、逆に辛かった。
言おうとしてたところだったから。
「別れましょう」って。

黙って聞く飯田と矢口の顔には、安倍の思いを受け止めようという優しさが溢れ
ていた。彼女たちとて、恋愛を経験してきている。そして、別れも。

「けどさ。そうしようとしてたのにさ。顔見ちゃうと何も言えなくてさ。やっぱあの人
の胸って、居心地よくてさ・ ・ ・ ・ ・ ・ 言わなきゃって思ってたさ。美穂さんを幸せ
にしてあげてって。あたしには、それは無理みたいだからって。それなのにさ…」

「なっち」
飯田が両肩に手を添えるのと同時に、安倍はその胸に顔を埋めた。

「なんで?どうしてよ!どうして死んじゃったりするわけ。ちゃんと言いたかったの
に。笑ってバイバイしたかったのに!」

泣くことしかできなかった。涙を流してどうにかなるものでもないけど、それしか
思いつかなかった。

「なっち…泣いていいから。いまだけ。圭織と矢口の前ではさ・・・」
親友の頭に頬を埋め、飯田も涙をその瞳に浮かべた。まだまだ、あたしの愛し方
が足りないんだよね。だからひとりで悩んで、泣いて…ごめん、なっち。

「ごめん。なんとなく分かってたよ…けど、オイラも圭織も、勇気がなかったんだ。
ホントにごめんね、なっち」
慰める矢口も、泣きそうになるのを懸命に堪えているのだった。



「そう、わかった。じゃあお願い。うん、そのホテルの東側」
捜索に散ったメンバーたちからは、きちんと報告が入っていた。

自分たちも探しながら、石川と藤本は報告が入るたびに、地図に×印を記して
いった。芳しい話はなかったが、徐々に探していない地区が減っている。ホテル
の西側はほぼカバーしたと知り、自分たちも東へ移動し始めていた。
この一帯には、プライベート・ビーチを持つホテルがいくつもある。そこへ入り
込んでいたら、まず人目にはつかない。
石川と藤本は、これまでの経過からその可能性が高いと考えていた。

「あとはどことどこ?」
藤本が×印がいくつもついたガイド誌をめくる。
「んーと…ねえ、まだこれだけあるよ」
頁を見た石川は、萎えそうになる気力を振り絞った。
「たったこれだけじゃん。よし、しらみつぶしに行くよ」
先に立って歩き出す石川を追いながら、藤本が電話で情報を共有する。

グループの未来を担う二人は、確実に階段を昇り始めていた。



しばらくして安倍の号泣は嗚咽へと変わり、そしてようやく三人顔を見合わせて
笑顔をかわすことができた。
ハンカチで頬をふいてやりながら、飯田が言う。
「なっちさ、まだ決まったわけじゃないさ」
「へっ」
何の事だかわからない、という表情をつくる安倍。涙は既に瞳を濡らしていない。

「よしこから電話があってさ、あのニュース、あたしたちもそれではじめて知った
んだけど、御代田さんじゃないかもしれないって」
「うそ・・・だって持ってたものが、あの人のだって」
「そうらしいね。だけど殺されたのは別人かも、って言ってた」

安倍は信じられない、という顔で、今度は矢口を見た。
矢口は、微笑を浮かべ頷いた。
「ジョーさんが動いてくれてるから、間違いないと思うよ。こういうことで嘘なんか
言わない人じゃん」
安倍も頷く。その胸に去来するのは、愛しい人の顔か、それとも…。

「そのうち、電話かかってくるよ。やっぱ無事だったぞー、ってさ」
グループのムードを一発で変える矢口の力は、ここでも健在だった。
安倍はけっして作り物ではない笑顔を浮かべると、二人にかわるがわる頷いて
みせたのである。
モーニング娘。の司令塔、おそるべし。

「うん、じゃ帰ろ」
飯田が言うと、三人は自然と肩を組んだ。
あたしたちがついてるんだからね。
圭織と真里っぺがついててくれるんだ。

笑いあう三人に、言葉は必要なかった。





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