第19話


<#4 錯綜−3>


辻は加護の側を離れずに見守っていた。
いや、離れられなかった。
加護は放心状態に戻って身じろぎもせず、話しかけても微かに頷くだけで
あった。
それでも、何も持たずに部屋を飛び出たことを思い出し、せめて携帯と財布
だけでも取って来ようと思った。話しかけるのは、これで何度目だろう。

「あいぼん、ちょっと部屋行ってくるから、ここ動かないでね。すぐ戻ってくる
から」
少しでも雰囲気を和らげようと、二人のときは滅多に使わない愛称で呼んで
みたが、今度も少しだけ顔が上下しただけだった。
一人にする不安を振り切り、辻は自分の部屋へダッシュした。

「携帯でしょ、財布とぉ、んーあとは…」
窓の外に、南の島特有の高さを誇示する雲。そして日本のとは違って見える
青空に、眼を奪われた。
プライベート・ビーチには、自由な時間を楽しむホテルの宿泊客の姿がある。
あんなことさえなければ、自分たちもビーチへ飛び出して行ったかもしれない。
着慣れない水着の裾を気にしながら、大はしゃぎしていたかも…。

ほんのつかの間の想いを心の引き出しにしまい込み、辻は加護の待つ部屋
へと戻った。
「あいぼーん…?」
トイレかな…いない。お風呂にもいない。まさか…
加護の姿は消えていた。買物にでも行ったのだろうか?いや、違う。

「亜依ちゃん!」
いまにも泣きそうな顔で、辻は部屋を飛び出した。
嫌だ、亜依ちゃん、嫌だよ!
絶対に見つける!辻は決死の表情で、街へと駆け出していった。


石川は、年少メンバーがくり広げるビーチバレー(コートはないが)を眺めな
がら、木陰のチェアで寛いでいた。テーブルを挟んだ隣には、ようやく酒が
抜けつつある藤本が、同じくチェアに身を預けている。

(みんな元気だなあ。まだ子供だ)無邪気そのものの小川を先頭に、大人しい
タイプと思われがちの紺野や亀井までが嬌声をあげている。
高橋もだけど、小川あたりにはもう少し大人になってもらわないと…石川は、
安倍の卒業が発表されたことによって再燃した年長組の時間差卒業説に、
グループの将来を考える機会が自然と増えていた。

もちろん、飯田たちは一笑に付しているし、スタッフも「そんな根も歯もない
噂を気にしてどうする」と笑い話になってはいるが、そう遠くない時期に迎え
る事態であろうことは、常に頭に置いているつもりだった。

飯田さんたちが卒業したら、誰がリーダーになるとしても、よっすぃーと、
あたしと美貴ちゃん、三人で引っ張っていかなきゃならないんだ。
そうなったとき、あの娘たちどうするんだろう。今みたいに、ただがむしゃらに
頑張るだけじゃ駄目だってこと、ちゃんとわかってるのかなあ。

これは保田に前から言われていたことだが、「もっと全体を見る」ことを念頭
に、仕事をしなきゃいけない。もちろん、流れとか空気というものは無視でき
ないけど、大所帯にとってバランスは重要なのだ。
吉澤は、かつての保田のような役割を担うようになってきていた。落ち込んで
いるのに気づいて、知らないうちに相談に乗ってあげたりしている。
自分はそういうキャラクターじゃないけど、何か別のところで、後輩たちに、
もっともっと影響を与えていかなきゃ…。

それに、安倍のことも気になっていた。
これまで二人で話し込んだりしたことはない。けど、最近は何となくだが、
そうしてみたいと思っている。
「娘。のマザーシップ」「グループの象徴」と言われながら、つんく♂に
「卒業」という線路を敷かせた安倍から、必ず得るものがあるはずだから
だった。
けど、ソロデビュー曲のプロモーションやら、卒業報道から殺到をはじめた
取材やら、メンバーたちと離れることが多くなった創設以来の大エースに、
「ちょっとお話が」となかなか言い出せないでいるのだった。

「あーもう!どうすりゃいいのよっ」
「なあにー梨華ちゃん、お腹すいたの」
寝ているように見えた藤本が、石川の癇癪に反応した。
「ううん、別に。起こしちゃった?」
「起きてたけど、いまのなぁに」
「何でもないよ。御飯食べに行こっか」
「んー、まだ早いんじゃない」
藤本はリストウォッチを見ながら言った。正午過ぎだ。
それに、ようやく回復しつつある胃をあと少し、水分だけで慣らしたい。

「もうちょっとのんびりしよ」
「そだね」
せっかくのお休みだし、そんな時間を気にしなくてもいいよね。
気がつくと、新垣と道重が近づいてきていた。二人はジャンケンに負けて、
ドリンクを買いに行って来たのである。
年長の二人は加わらなかったが、新垣が気を利かせて買ってきたようだ。

「あたしたちの分も?ありがと」
しかし、石川が手を出しても、新垣はドリンクを渡そうとはしなかった。
「どしたの、おマメちゃん」
何かを告げようとしているが、怖くて言い出せないとでもいうように、強張っ
て見える。
「なんかあったの?」藤本も異常に気づいた。
「あの…のん…辻さんが」
「辻ちゃんがどうしたの」
「走ってたんです、泣きながら」
新垣はまるで見てはいけないものを見てしまったような、申し訳なさそうな
顔で言った。

「泣いてたの?」
「はい…」
石川と藤本は、思わず顔を見合わせた。
どういうこと?いくら気づかれにくい海外でも、あの娘が人目をはばからず
泣きながら?

「あの…ちょっと気になったんですけど、いいですか」
語尾が消え入りそうな道重は、いつも遠慮気味だ。
「なあに?言ってみて」
「あの・・・加護さんはどうしたんでしょう」
「え?」

そういえば朝、カフェで見かけて以来、姿を現していない。こういうシーンで
出てこないはずはない、グループ一の爆弾娘が。
「…」
重苦しい雰囲気が四人の間にたちこめる。波打ち際ではしゃいでいたメン
バーも、遠くからこちらを見ていた。なかなか届かないジュースに焦れて
いるとは思えない空気だ。

昨日から、いやもっと前から、様子がおかしいと思っていた。誰かと喧嘩で
もしたのかと放っておいたが、相方の辻の様子まで尋常でないとなると…。

「ねえ」
藤本が沈黙を破った。
「うん」
石川は頷くと、固唾を飲んでいる新垣と道重に向いた。
「みんな呼んできて」
「はいっ!」
二人は砂浜をものともしない、鋭いダッシュを見せた。やはり辻と加護の
ことが心配だったに違いない。
石川が「ホテルに戻るよ」と宣言し、藤本がそれを力強い笑顔で受け止め
たのは、言うまでもなかった。





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