第8話


新曲『Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜』のリリースが近くなるにつれて、スケジュールは
ハードなものになっていく。
雑誌の取材、テレビの収録、関係各位への挨拶回り、そしてリハーサル。
もちろん、その間にもレギュラー番組はこなさなくてはいけなくて。
まさしく仕事漬けの毎日。
あたしはともかく、5期メンバーは大変だろうなぁって思う。
この忙しさを体験するのは初めてなのだから。
紺野も高橋も小川も新垣も、寸暇を惜しんでは、一生懸命台本を読んだり、振り付けの確認を
したり。
もしくは、楽屋や控え室の隅で眠っていた。

その日もTV番組の収録で、控え室には娘。メンバー全員集合となっていた。
めいめい鏡で自分をチェックしたり、進行を確認したりしている。
そして、カオリはリーダーとして5期メンバーの前に立っていた。

「しんどいのは分かるけど、プロならちゃんと笑わないとダメだよ」

カオリの言葉に真剣に頷く4人。
あたしは、いつものようにぼーっとしながら、そんな風景を眺めていた。

「ごっつぁん。疲れてんのー?」

ヒヤリと頬に冷たい感覚が生まれる。

「んぁー…。やぐっつぁんかぁ」

「矢口で悪かったねー」

ペットボトルをあたしの頬に押し付けて、やぐっつぁんがベッと舌を出していた。
明るい色の髪がサラリと揺れている。
やぐっつぁんは、さすがと言うべきか、疲れなんて微塵も見せず、いつものように屈託なく微笑
んでいた。

「悪いなんて言ってないよー。ごとうにくれるの?これ」

あたしはへなって笑い、手を伸ばしてペットボトルを受け取った。
お茶のボトル。

「ん。あげる」

ペットボトルから手を離したやぐっつぁんが、あたしの膝の上へ座ろうと移動してくる。
あたしはイスに深く座りなおして、やぐっつぁんの腰に緩く片腕を回した。
別に珍しい風景ではない。
部屋のもう片隅では、辻がなっちの膝の上で遊んでいるし。

あぁ、それにしても、やぐっつぁんの小ささって可愛いねー。膝の上サイズ。

「いやぁ…やっぱこの時期は忙しいよねぇ」

足をブラブラさせながら、やぐっつぁんは首を捻ってあたしを見上げた。

「だねー。コンサートとかの忙しさとは、また別物だしね」

「耐久ものの企画もつらいけどさぁ。……新メン、辛そうだなぁ」

「んー。ごとうも娘。に入ったばっかは辛かったし。一度は通る道だと思うけどね」

言いながら部屋の隅へと視線を向けると、カオリの話から解放された4人が固まってソファに
座っていた。
流石に口数も少なく、疲労の色も濃い。
紺野は、高橋の肩にもたれるようにして眠ろうとしていた。
高橋はそんな紺野を黙って見つめ、肩をかしてあげている。
――自分だってしんどいだろうに…。

「……高橋ってさぁ…」

ぼそっと小さな声でやぐっつぁんが呟いた。

「紺野と仲いいよね」

「――うん」

あたしは頷く。
本当にそうだから。

「――――妬ける?」

「…………分かんない」

「ふぅん」

やぐっつぁんは、それ以上聞いてこなかった。
あたしに後頭部を向けている彼女がどんな顔をしているのかも見えない。

そう、分からない。
前までなら、別にって答えていたと思うけど…。
エーデルワイスを一緒に口ずさんだ頃から、分からなくなってきた。
高橋が羨ましいと、時々思う。
ごく自然に傍にいて、励ましてあげれる関係が羨ましい。
あたしが話しかけると、どうしたって紺野は“先輩”に対する態度になっている。
その距離がもどかしかった。
これは、妬いているっていうのかな……。

サンドイッチのお礼をする時間も取れないまま、忙しい毎日が過ぎていく――。


そんなある日、事件がおきた。正確には事故――。
TV番組の収録の最中に、紺野が怪我をした。

「紺野…っ!!」
「こんちゃん……! 大丈夫?!」

スタジオの空気が凍りつく。
スタッフとメンバーが紺野に駆け寄った。
紺野は顔を顰めて、唇を噛み締めていた。
慌しく空気が動いていく。
紺野の様子はただことではなさそうだった。

新垣や小川はショックのあまりか涙ぐんでいた。
なっちややぐっつぁんも、少し青ざめている。
あたしたちは、身体が資本だ。
風邪や怪我は厳禁。体調管理は最も大切な仕事のひとつ。
そう教え込まれた。

そしてあたしは、そんなどうでもいいことを考えながら、うまく動くことが出来ずにいた。

紺野が、紺野が……怪我?
あんなに頑張ってきたのに、ここに来て怪我?
血痕が網膜に焼き付いた。
変に頭が冷静で、でもふわふわしているような奇妙な感覚。
もうすぐ、ツアーが始まるのに。
初ステージに向けて、あれだけ特訓を重ねたのに……?

夏センセイに怒られながら頑張っていた紺野。
一人で朝早くから、夜遅くまで汗を流していた紺野。
おそらく、あたしの見えていないところでも努力していたのだろう。
ダンスは日を追うごとに上達していた。
まだまだ足りないものはあるけれど、着実に前進しているのが分かった。

時々不安な表情を見せて、それを押し殺そうと懸命になっていた紺野。
そんな中でも、ふんわりとした笑顔は健在で。
あたしはそれが嬉しかった。
同期の…高橋の支えの賜物だとしても、あたしは嬉しかった。
あたしが、上手になったよ、と声を掛けたとき輝くような笑顔をくれた、それだけで十分だった。

それが、なのに、ここへ来て…?!

マネージャーさんが、紺野は病院へ運ばれたと、スタジオで待つあたしたちに伝えてくれた。
泣きじゃくる、同期のメンバー。
そして、収録再開。

―――あたしは、自分がどんなふうに仕事をしたのか、覚えていなかった。
気付いたら、全てが終わった控え室だった。

「ごっつぁん? 大丈夫?」

やぐっつぁんに覗き込まれて、あたしは、初めて視界の焦点が合ったような気になった。

「………あ?」

「―――顔色、悪いよ。…今日、矢口の部屋に来る?」

やぐっつぁんの眉が心配そうに寄せられているのが見える。
気遣いと労わりを含んだ声。

「えと…。あれ、ねぇ、ごとう、ちゃんと仕事出来てた?」

「うん。大丈夫、プロだったよ。多分、メンバーも気付いてない」

皆紺野のショックが尾を引いてるからね…。
そっとやぐっつぁんは付け足して言った。

あたしはほっと息をつく。
そして、やぐっつぁんだけは、確実にあたしのショックの大きさを見抜いていることに気付いた。

「鋭いねぇ、やぐっつぁんは…」

あはってあたしは笑ってみせた。
やぐっつぁんは、少し眉をしかめて、何か言いたげな顔をしてる。
ん?って首を傾げると、やぐっつぁんの呟きが聞こえた。

「別に…全員に対してこんなに鋭いわけじゃないよ」

へ?
ぱちりと瞬いて、その意味を聞こうとしたあたしの背に、やぐっつぁんの手が触れる。

「ごっつぁん、無理して笑わなくてもいいからさぁ」

「――サンキュ」

やぐっつぁん…相変わらず優しいなぁ……。

「今日は矢口の部屋においでよ」

誘われてあたしはちょっと考えた。
やぐっつぁんは、純粋な厚意で言ってくれているんだろうけど…。
今のあたしの感覚は、心臓が押し潰されそうな感じ。
すごく、ものすごく、不安……。
やぐっつぁんの気持ちは嬉しいけど、やぐっつぁんの部屋へ行ってもこれは収まらないような気
がする。

どうしようかと返事を迷うあたしの耳に、カオリの声がやけに鮮明に飛び込んできた。

「紺野の病院へ、見舞いに行っていいって」

あたしはカオリをぱっと振り返る。
控え室の扉の前に立って、メンバーの顔を見渡している。

「行く…!」

考えるより先に、体が動いて声が出た。
で、初めて他のメンバーが全員控え室に残っていることに気付いた。
カオリはちょっと意外そうにあたしを見て、うん、と頷いてくれる。
「行きます! あたしも、高橋も行きますっ」

部屋の対角から切羽詰った声が上がった。

高橋……。
可哀想なほど、蒼褪めていた。
そんな彼女の横で、小川と新垣も真っ直ぐ…縋りつくような目でカオリを見つめている。
あぁ、泣いた跡がある。
同期のメンバーとして、一緒に今日まで苦楽を共にしてきた仲間として、心底心配してるんだ
なって分かった。

「……矢口も行くよっ」

あたしの後ろで声が跳ねた。
あ…誘われていた最中だっけ…。

「やぐっつぁん、そういうわけで、お泊りはまた次の機会にしよう」

振り返って伝えた後、答えを待つ時間ももどかしくて急いで荷物をまとめた。
紺野に会える。
紺野の無事を確認できる。
それだけしか頭にない。
それだけしか考えられない。
そして、それまで痛いくらいに感じていた不安が、少し影を潜めたのを感じていた。

お見舞いに押しかけたあたしたちは、病院のベッドの上の紺野から、12針縫ったことを聞かされた。
そして、ツアー初日には間に合わないと……。

紺野は、少し眉尻を下げて、泣きそうな、そして申し訳なさそうな顔であたしたちを見た。

「ごめんなさいっ!」

細い紺野の声。
ベッドの上で頭を下げている紺野の顔は、髪に隠れて見えなくなった。

「紺野、これはアクシデントだからね。それより怪我、大丈夫?」
「心配したよー。……早く治して、一緒のステージに立とうね」
「こんちゃん、こんちゃん。のの、次のお見舞いの時は、美味しい食べ物持って来るよ」

メンバーたちがベッドを囲んで口々に声を掛ける。
紺野はありがとうございますとごめんなさいを何度も繰り返していた。

あたしは…、無理して対応しなくていいよ。あたしたちに気を遣わないで、と言いたくなっていた。
悔しいの、ぶちまけていいんだよって…。
でもそれは言えない。紺野だって、こんな全員の前で悔しさを露わにするのは嫌だろう。

「あさ美ちゃん…! 大丈夫? 痛くない?」
「あさ美ちゃん、あさ美ちゃん…っ」

……5期メンバーたちだった。
少しあたしたち先輩に遠慮する素振りを見せたものの、ベッドの傍最前列で紺野の手を取り、
泣きそうな顔で覗き込んでいる。
もちろん、あたしたち先輩も咎めるはずはなく――。

「心配かけてごめんね」

と紺野が小さな声で呟くのが聞こえた。
高橋と小川と新垣に向けての言葉。
あたしたちに対しては、不注意で怪我をしてごめんなさい。迷惑をかけてごめんなさい…なのだ。
それは無理もないことだと分かってるけど。
どうしよう、すごく…すごく…寂しい。

もっと傍で支えてあげたい。
もっと素の顔を見せてほしい。

あたしは、出来るだけ柔らかく優しく微笑みながら、当たり障りないお見舞いの言葉を紺野に
掛けて、皆と一緒に病室を跡にした。
心の中で、近いうちに絶対に一人でお見舞いに来ようと決心しながら。





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