第6話


そんなある日。
メンバー全員でのダンスレッスンがスケジュールに組み込まれた。
今度の新曲、「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」の振り付け。

朝の道をスタジオまで急ぐ。
娘。メンバー全員が集合できる時間も、あたしが加入した当初に比べると、だんだん短くなっ
てきている。
ユニットだとか、ソロだとか…個別スケジュールがそれぞれ忙しいせいだ。
だから、たぶん今日一日で全ての振りを覚えるハメになるのだろう。
朝から夕方までのダンスレッスン。
今日も夏センセイの怒鳴り声を聞くことになるんだろうなぁ…。
とか何とか思うわりには、あたしは結構気分よくスタジオへ辿り着く。
ダンスは好きだ。厳しくても、難しくても、やっぱり踊っていて楽しいと思える。
ただし、朝の眠さについてはちょっと話は別だけど。

ふわぁ…と大きな欠伸をしながら、スタジオの防音扉を押し開けた。
「はよーございまーす…」

半ば惰性での挨拶。
地下にある広いスタジオには、煌々と電気がついていて、磨きこまれた床に明かりが反射している。
が…。

あれ? なんで――?

スタジオにいたのは紺野一人だった。
壁一面の鏡の前でバーを使ってストレッチをしていた紺野は、あたしの声にぱっと振り返る。
きょとんと目を見開いたあたしと、これまた驚いた表情の紺野の視線が交わった。

「お、おはようございますっ!」
ぺこりと紺野が頭を下げる。
二つにくくられた髪は少しだけ乱れていて、頬がうっすら上気しているのが分かった。
頭を起こした彼女の髪がぴょこんって揺れた。

「おはよー…って。紺野一人?」

見渡しても、他のメンバーの荷物は見付からない。
あたしはカバンを肩にひっかけたままで、紺野へと近付いた。

「はい。……あの、まだ集合時間一時間前ですし………」

「あーそっか、一時間前……――はぁ?!」

床にカバンを置いて頷きかけたあたしは、びっくりして壁時計を見上げる。
時刻は9時前。
あたしの脳内スケジュールは、9時からダンスレッスンなんですけど…。

「……9時集合じゃなかったっけ? え、10時集合?」

「――はい、10時集合ですよ……」

ガクリとあたしは脱力した。
ズルズルと鏡に背中を預けてしゃがみ込んでしまう。
紺野の勘違いだと思いたかったけど、今、他にメンバーがいないのが何よりもの証拠だ。

「えと……。あの、後藤さん?」

呼ばれて顔を上げると、目の前に紺野もしゃがみ込んでいた。
大きな瞳で心配そうにあたしを見つめている。
あたしはへらりと笑ってみせた。

「大丈夫ー。早起きは三文の得って言うし。こうして紺野に会えたのが、三文分の得かなぁ」

瞬間紺野はぱちくりと目を見開いて、そして真っ赤になってしまった。

「あの、あの……。そんな、わたしに三文の価値なんて」

パクパクと言葉なく開かれる唇が可愛い。
汗で額に張り付いた髪も何だか可愛い。

いやいや、三文以上の価値は十分……って、三文っていくらなんだろう…?

連想ゲームのように浮かんだ疑問に、ん?と首を傾げて、尋ねてみようと紺野へ視線を向け
たあたしは、ふと違和感を感じた。

え、汗……?
薄っすらと滲む汗が人工的な光を反射している。

「てかさ、紺野? 何してたの、集合一時間前から。自主トレ?」

「―――……はい、そんなものです。……なかなか、完璧にならなくて」

すっと紺野の顔が憂鬱そうに翳る。
伏せられた眼差しと、辛そうに寄せられる眉。

あぁ…とあたしは思い当たった。
紺野はダンスが苦手だ。もっといえば、たぶん歌にも苦手意識を抱いている。
補欠合格でスタートしたことに対する負い目とか、あと色々…。
頑張っているのは傍目からでもよく分かるんだけど、それが今は結果に結びついていないんだ。
夏センセイに怒られるたび、紺野は萎縮してたっけ。
あたしは、もう少しすると紺野は花開くと思っている。
高く飛ぶためには、深く身を屈めなきゃいけないって、そんな言葉をどこかで聞いた。

さて、どうするかな…。
自分で言うのもなんだけど、あたしは慰め役には向いていない。

「こーんの」

あたしは表情を和らげて、くしゃっと二つにくくられた紺野の髪を撫でた。
彼女はびっくりしたように、大きな瞳であたしを見上げてくる。

「ほら、笑え。紺野、せっかく可愛いのに、そんな顔してたらもったいないよ?」

言いながらふっくらした頬をふにって摘んでみた。
あたしの行動は予想外だったのだろう。
彼女は面白いくらいに真っ赤になって、目を白黒させている。
うわ、なんて素直な反応なんだろう。

「ごっ、……後藤さん……っ」

「んー? やぁらかくて、気持ちいいー」

ふにふにふに。
あたしはセクハラオヤジのごとく、紺野の頬を突っついて摘んだ。
あたふたする彼女が面白くて、くすくす笑いながら悪戯してしまう。
ヤバイ、クセになりそう…。
いやいや、そうじゃなくって…。ん、落ち着いてきたかな?
頃合いを見計らってあたしは手を離し、ペタンとその場に座り込んだ。

「ほら、紺野、こっち来てもたれてみ?」

ペタペタと傍の床を手の平で叩いた。
紺野は両手で自分の頬を押さえながら、向かい合った位置から横並びの位置へとずれてくれる。
あたしは鏡にもたれて、横目でそっと戸惑った様子を見つめた。

「ねー、エーデルワイスって知ってる?」

あたしの唐突な問いに、不思議そうな表情をしながらも頷いてくれる。
その様子にはさっきまでの緊張はない。
少しだけほっとして、嬉しくなった。

紺野を見ていたら、不意にエーデルワイスを思い出したのだ。
鮮やかな緑と白の対比が美しい花。
しっかりと根を張って、つつましく、清楚に咲く花。

「花、見たことあるー?」

「あ…いいえ。サウンドオブミュージックで曲は知ってるんですけど、花は……」

「ごとうもねー、図鑑とかでしか見たことないんだけど。なんかね、好きなんだ」

不思議なほどゆったりとした気持ちになっていた。
紺野は顔だけを横向けて、真っ直ぐにあたしを見ている。

「えと……。今度、見てみますね」

紺野からの言葉に、あたしはちょっと驚いた。
うぬぼれじゃないなら、そこに社交辞令の色は全くなかったから。
ふんわりと笑った笑顔。柔らかな表情。穏やかな雰囲気。
えへへって照れ臭さを隠しながら笑い返した。
だからへろって壁にもたれて、頭の中に浮かんだメロディを口ずさむ。

「♪Edelweiss Edelwiess every morning you greet me ……」

チラリと紺野を見た。
歌えるんだったら一緒に歌おうよ。
そんなメッセージを込めて。
紺野はにこりと笑って、細いけど綺麗な声を重ねてくれた。

「♪……Small and White Clean and Bright You look happy to meet me」

後頭部を壁鏡に預けて、目を閉じて歌を歌う。
あぁ、すごく気持ちいいなぁ…。
紺野の声、綺麗だなぁ。
落ち着くなぁ…。
そんなことを考えながら、あたしはリピートしてもう一度始めから歌う。
紺野もごく自然にそれに付き合ってくれた。

彼女のいい所は、もしかすると、テレビに映りにくいのかもしれない。
彼女の持つ長所は、もしかすると、芸能界で一気に注目を集められるものじゃないのかもしれ
ない。
でも、このコの持つ雰囲気は貴重だと思う。
おっとりとしていて、傍にいるだけで、優しくなれそうな気がする。
素朴で温かい笑顔。細いけど、綺麗な声。素直な感性と表情。
苦労するかもしれないけど、いい所を失わないで、成長してほしいなぁって願った。
いつの日か、きっと花開く。紺野の美点に皆気付く。その日まで…頑張ってほしい。

薄く目を開けると、瞳を閉ざして仄かな笑みを浮かべながら歌っている紺野が、目に飛び込ん
でくる。
ふっくらとした唇が小さく動くのを見て、ドキンとしてしまった。

ちょっと待て、落ち着けあたし。
なんでときめいてるんだ?
こら、耳が熱くなってるのはなぜだ?
おそらく紺野の完全に無防備な表情。
あどけなさや、いつもの一生懸命さが消えると同時、びっくりするくらい大人びた雰囲気を感じ
取ってしまったのだ。
意外…だけど、もっと見たい。
もっと紺野の色んな面を見てみたい。

そんなことを考えていたら、ふっと歌声が小さくなってしまった。
まぁ当然。無我の境地から煩悩の世界へと、もろ切り替わったのだから。

「―――後藤さん?」

紺野がゆっくりと瞳を開けた。
歌声はやんでしまって、妙な静けさに再びドキンとしてしまう。

「―――どうしたんですか?」

間近に迫る紺野の黒い瞳。
不思議なほどの吸引力。
あ、分かった、黒目が大きいんだ……って違う!

その時。

ぐぅ〜〜〜。
7
絶妙のタイミングで、あたしのお腹が鳴った……。
さすがにあたしは顔を赤くしてしまう。
てか、なんでだよ、あたしのお腹…。確かに朝急いで、朝食抜きだったけどさぁ。
いや、ある意味助けられたのかな。よく分かんないや。

紺野は大きな目をもっと丸く見開いて、そして俯いて、でもしっかりと肩を震わせている。

「―――…。こーんの、笑ってるの、マジ分かりやすいから」

あたしも笑いながらくしゃりと紺野の頭を撫でる。

「ご、ごめんなさい…。………あ、そうだ。サンドイッチ食べますか?」

「マジ? いいの? でも紺野の昼ごはんなんでしょ?」

言ってからあたしは名案を思いついた。

「あ、じゃあさ、それもらえるかな? んで、昼ごはん、ごとーが奢るよ。一緒に食べに行こ
う?」

紺野に言葉を挟む隙を与えず、あたしはまくし立てるように言葉を繋いだ。
わくわくするような気持ち。

どう?って大きな瞳を覗き込むと、彼女ははにかむように微笑んで、ひとつ首肯を返してくれた。

「えと……。いいんですか?」

おっとりとした細い声で尋ねながら、カバンから取り出したサンドイッチを差し出してくれる。
家族の手作りなのだろう。大判のハンカチで包まれた、いかにもなお弁当箱。

「もちろん。つっても、ダンスレッスン中だったらちゃんと食べる時間もないだろうなぁ。ケータリ
ングかな。だったら夕食もご馳走ということで」

にっこり笑って、ピンと人差し指を立ててみた。
あたしの主張に紺野はまたもや大きく目を見開く。
紺野のびっくりした顔、めちゃくちゃよく見てる気がする。
可愛いから全然OKなんだけどねー。

「やっ、それは悪いです。そんな…大したものじゃないし……」

遠慮する紺野を強引に説き伏せながら、あたしは差し出されたお弁当箱を受け取った。
いいの?いいの?って何度か聞いてから蓋を開ける。
並んだ手作りのサンドイッチに軽い感動を覚えた。
そして、それが紺野のお母さんの手作りだと思うと、何やら感慨もひとしおである。

遠慮なくサンドイッチをぱくつきながら、カバンからペットボトルを取り出した。
ストレートティのボトル。
一口飲んでから、ふと思いついて紺野に差し出してみる。

「飲む? 甘くないけど…」

別に間接キスとかよこしまなことを考えたわけじゃなく、単純に汗をかくくらいトレーニングして
たんだったら、喉渇いてるかなぁって思ったから。

「あ………、はい、…ありがとう、ございます――」

暫しの逡巡の後、紺野は両手であたしの手からペットボトルを受け取って、コクコクと喉を潤し
た。
会釈とともにボトルを返されて、少し濡れた紺野の唇を見たときに、あたしは今更ながら間接
キスという単語を思いつく。

とはいっても、娘。のメンバー間では間接キスなど珍しくもなんともない。
ハグやチューですらコミュニケーションの一環だと定着しているから。
なのに。あたしは少し鼓動が高鳴るのを感じた。
エーデルワイスを口ずさんでいた、無防備な紺野の顔を思い出す。

………独り占め、したいな。
ふんわりとした笑顔や、ボケたキャラは皆が知っている。
彼女のいい所を、もっと伸ばしてあげたい。
だけど。
無防備な表情や、照れて頬を染める顔は、独り占めしたい。

沸き起こった独占欲に驚いてしまう。

あたしは他人に対して独占欲を抱くことは滅多になかったから。
来るもの拒まず、が基本スタンス。
そりゃ、親しくなる、ならない、はあるけど、人に執着した記憶はあまりない。

「―――後藤さん?」

小さな声でも他にだれもいないスタジオでは大きく聞こえる。
あたしははっと顔を上げた。
サンドイッチを口に咥えたまま、考え込んでいたらしい。
てか、傍目から見れば、ぼーっとしてたようにしか見えなかっただろう…。

「どうかしました? ――お口に合いませんでしたか?」

心配そうに覗き込まれ、慌てて首を横に振る。
サンドイッチは、すでに半分あたしの胃に収まっていた。

「んーん、美味しい。本当に、美味しいよ」

「よかったぁ……」

紺野は嬉しそうに表情を和らげた。
とてもとても可愛いと思った。
―――ぎゅってしたくなった。しなかったけど。





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