第3話


その後も、あたしの生活は別段変わりなかった。
仕事をして、帰って、眠って…。
相変わらず紺野のことは気に掛かっていたけど、具体的に行動を起こすことはしなかった。
最近では、紺野の行方不明も少なくなってきたしね。
マイペースだなぁとか、幸せそうに食事するなぁとか。そんなことを思ったくらい。

「紺野はさぁ、ごっつぁんにそんな目で見られてるって知ってんのかねぇ」

そんなある日、セットの変更を待ってる時間に偶然やぐっつぁんと二人っきりになった。
スタジオの隅に腰を下ろしたあたしの横で、立ったままのやぐっつぁんがポツンと呟いた。

「んぁ…? やぁー、知らないっしょ」

膝の上に肘をついて顎を支えながらあたしは小さく笑う。
紺野はちょうど対角線上に位置する場所にいる。
一生懸命台本を見ている顔は、真剣そのもの。
可愛いなぁって目を細めながら俯き加減の顔を見つめた。
やがて小川が傍に来て、二人で小さく手足を動かして振り付けの練習を始めた。
真面目だなぁって思う。五期のメンバーは全員真面目だ。
頑張れーって心の中でちょっとエールを送ってみた。

するとやぐっつぁんが、は…と吐息だけで笑うのが聞こえた。

「どーしたの?」

ひょいと視線を斜め上に上げてみる。
やぐっつぁんは、苦笑するような、呆れたような、そんな顔であたしをじっと見つめていた。

「ごっつぁんの、紺野を見る顔つきって、ひどく優しいよねー」

「は…?」
「ジアイに満ちてる」

ピ、とやぐっつぁんの指があたしの顔を指した。
あたしは一瞬彼女が何を言ったのか、分からなかった。
ジアイ…? 自愛…。慈愛……?!
慈愛って……!!

「……っ、あはははははっ…!!!」

ジアイの意味を理解すると同時、あたしは爆笑していた。
体を二つに折って、お腹を抱えながら込み上げる笑いに肩を震わせる。

な、なんでそんな大袈裟な言葉使うのかなぁ、やぐっつぁんってば。
慈しみの愛って、なんだそりゃ。
仏様や神様みたいな、そんな大技、あたしには無理だって!

スタジオに響くあたしの笑い声に、皆の注目が集まるのを感じたけど、ツボにはまった笑いは
なかなか止められない。

「――ごっちん、何が可笑しいのー?」

ぽんって頭に手が乗せられて、笑いすぎて涙目になった顔を上げると、なっちが首を傾げて
立っていた。

「矢口ー、このコ、何バカ笑いしてんの?」

「―――知らない。バカだから、バカ笑いしてるんっしょ。……飲み物もらってくる」

え…?
上から降ってきたやぐっつぁんの声は、滅多に聞けないくらい冷ややかだった。
笑いも一瞬で収まって、あたしは慌てて顔を上げる。

「やぐっつぁん……?」

背中に呼びかけると、やぐっつぁんはひらりと片手だけ上げて、でも振り返りはしなかった。
そのままスタジオから出て行ってしまう。
多分、控え室へ行ったのだろうけど…。

あたし、やぐっつぁんを怒らせた?
バカ笑いしてしまったのか、気に障ったのかな。
でも、だって……。

途方にくれた心地で、正面に立つなっちを見上げると、彼女はあたしを見つめて首を傾げたま
まだった。

「――何、怒らせたの?」

問い詰めるとかじゃなくて、疑問符だけを乗せた問い掛け。
いつものなっちの声だった。
柔らかくて穏やか。

「……あ、やっぱ怒ってた…よね?」

「うん」

速攻で肯定してくれる。

「え……何でだろ。ごとう、分かんないや」

「まぁ、ごっちんは自分に対する感情に鈍いからねぇ。理解できたら、ごめんなさいって伝えれ
ばいいよ」

スパリと言い切られてしまった。
にこりとした、いつもの百点満点の笑顔のままで。
ちょっとだけムッとする。

「なっちは…なんで、やぐっつぁんが怒ったのか、分かるの?」

「……だいたいはねー」

ガシャガシャとなっちがパイプ椅子を引きずってきて、あたしの横に腰を下ろす。
両手を膝の上に置いて、行儀いい姿勢であたしを覗き込んできた。

「な、何?」

つられてあたしも姿勢を正してしまう。

「ちょっと昔話をしようか。ごっちんが娘。に入ってきて数ヶ月したころさ、わたし、ごっちんに
“ダンスのコツを教えてちょうだい”って頼んだの、覚えてる?」

なっちは真剣な顔つきだった。
穏やかだけど、そこに冗談はないって感じがひしひしと伝わってくる。
一人称がわたしになっているのもその証拠。

あたしは静かに頷いた。
あれは『恋のダンスサイト』の頃。
ダンスレッスンの後、一人で練習しているあたしになっちが近付いてきた。
その頃、あたしはようやく娘。の今までの歌とダンスをマスターしたばかりで、遅れを取りたく
ない一心で復習には余念がなかったのだ。

なっちに、ダンスを教えてって言われたときは本気で驚いた。からかわれてるのかと思った。だって彼女は完全にマスターしてたし
、歌だってメインが多くて…。
あたしが何を教えるの?!って気分だった。
あたしは結構過去の出来事を忘れるというか、流してしまうタイプだけど、あの件はびっくりし
すぎてちゃんと覚えている。

あたしはあの時、なっちの言葉にきょとんとした後、笑いながら首を横に振ったのだ。
「何、冗談言ってるんですかー。あたしが教えて欲しいっす、センパイ」
冗談交じりの敬語とともに返事をして……。
そしてあたしは練習を始めた。
なっちはしばらくあたしを見てて、そのうちそっと帰っていった。

「じゃ、ごっちんがなんて返事したかも覚えてるよね?」

なっちは淡い苦笑を浮かべながら静かに尋ねる。

「うん……」

覚えてる、けど……?
それがどうかしたんだろうか。

「あれはさ…、わたし、すごく本気だったの。ごっちんが入ってきて、娘。が活気に満ちて、ミリ
オン達成して。ごっちんは、意識してないのかもしれないけど、歌もダンスも上手だよ。ただ上
手ってだけじゃなくて、華がある。なんだか知らないけど、注目を集めるの。あの頃からそう
だった。今は、もっとそれが顕著だけどね」

「………なっち?」

褒め言葉に面食らった。
茶化して笑ってしまいたいけど、そうできない空気がある。

なっちはあたしにちょっと笑顔を見せて、言葉を続けた。

「わたしには、その華がないことは知っていた。だからあの時、やっぱりすごく焦ったし、ごっち
んに追いつきたいって思った。教えてって頼むのにも、随分悩んだんだよ? 先輩としてのプ
ライドもあったからさ。――だから、やっとの決心を冗談で流されて、でも、ごっちんに悪気はな

いんだっていうのはよく分かって。すごく、ショックだった……」

ふっとなっちの表情が真顔になる。
声が低く小さくなる。
あたしは体を強張らせた。

そんなこと…思いもしなかった。想像もしなかった。
あたしは、なっちのすごく真剣な思いを、行動を、何も気付かないで踏み付けたんだ。

「ご……ごめん」

喉を押し開くみたいにして、言葉を絞り出す。
なっちは、はっとしたようにあたしを見て、そしてくすっと笑った。
不自然じゃない、穏やかな笑み。

「いいよ、もう。過去の話だし、なっちはその悩みから脱出したしさ。歌やダンスじゃごっつぁん
に負けるかもしれないけど、なっちのこのスマイルは負けないもんねー」

要は向き不向き、となっちは明るく笑う。

あたしは負けたと思った。
何ていうんだろう。
アイドルとしての適正は、きっとなっちの方が上だ。
可愛く笑ってトークをして。愛嬌があって、一生懸命で。見ているだけで幸せになれるような、
そんな空気。

「歌もダンスも、手を抜くつもりはないよ? でも、ごっちんにそれで勝つのは諦めた。代わりに
なっちは、なっちの得意分野を磨く」

いたずらっぽく笑うなっち。
一見しただけでは分からない、心の強さと、負けず嫌いの精神を垣間見た気がした。

「ん? 話が逸れたね。あぁ、でね、そのときなっちは思ったの。このコは、きっと、自分に寄せ
られる思いに鈍いんだろうなって。マイペースすぎて、気付かないんだろうなぁって。でもま、そ
の時は、それ以上頭下げて頼み込むには、無駄なプライドが邪魔をしてたし。かといって、そ
れを伝えてあげようって思うほど、優しくはなれなくてさ。……その後も改めて伝えようって思う
場面もなくー。忘れかけてたんだけど、今ちょっと思い出した」

えへへってなっちは笑う。

「無自覚は免罪符にならないよー。場合によっては、ものすごくタチ悪いよ? ごっちんはさ、
それが魅力でもあるんだけど、そろそろ自覚しなきゃね」

すくっと立ち上がると、なっちはひらひらって手を振ってスタジオの奥へ歩き出した。

「あっ…。なっち、ありがとう!」

慌ててあたしがお礼を言うと、なっちはにこっと笑顔をくれる。

とても大切なことを言われた。
考えもしなかったことを言われた。
どんな思いを寄せられているか……?
そんなの……。
でも、分からないよ。
あたしは考えるのが苦手だ。

「後藤さーん。メイクに入ってください」

スタッフの声にあたしははっとする。
思考は一時停止だ。

スタジオの隅では、紺野と小川と、そして高橋が三人で踊っていた。
無心に踊っている様子を見て、ちょっとだけ羨ましいって思った。





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